「大和」と書いて「やまと」と読む。皆さんは何故「大和」を
「やまと」と読むのか、不思議に思ったことはありませんか?
「だいわ」とは読めても「やまと」とはとても読めません。
しかし古代から「大和」と書いて「やまと」と読んでいる
のです。それには理由があるのです。
このルーツを辿るとわが国の古代史に戻ります。
西暦712年に編纂された「古事記」にはわが国を「倭」と
記載して「やまと」と読ませていました。
なんと西暦720年に編纂されたわが国の歴史書「日本書紀」も
「日本書紀」と書いて「やまとのふみ」と読ませていたのです。
有名な魏志倭人伝には西暦238年に卑弥呼が「倭王」の金印を
受領したと記載されています。
即ち古代わが国は漢字では「倭」(ワ)と表記し、国内では
「やまと」と読んでいたのです。
中国の歴史書「後漢書」には西暦426年のわが国を「大倭」と
称しています。
「大倭」とは国家意識の高まりで「大」をつけたもので、
わが国では「おおやまと」と呼びました。
倭国の中心は九州・太宰府にあったと考えられています。
その後歴史が動いて、倭国が滅亡し、新生日本が誕生。
新生日本の中心となった近畿地方の現在の奈良県の国名として
西暦752年「倭」を「和」に変えた「大和」が誕生。
本来は「おおやまと」であったものが、漢字は「大和」、
呼称は略して「やまと」と呼ばれるようになったのです。
ちなみに奈良県天理市にある「大和神社」は、かの戦艦大和が
守護神としてこの神社の分霊を祀っていたことでも有名ですが、
この神社は「おおやまと」神社と読みます。
その「おおやまと」神社を次のページに紹介します。
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