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三雲南小路遺跡は江戸時代(文政5年、1822年)に男王の甕棺墓 が発見され、それから150年後の昭和50年に王妃と見られる甕棺墓 が発掘されている。 男王墓からは 瑠璃壁 8個以上 鏡:前漢鏡 33面、戦国鏡 2面 剣:銅剣 1本 玉:瑠璃勾玉 3個、瑠璃管玉 60個、他 また王妃墓からは 前漢鏡 22面、瑠璃勾玉 12個、硬玉勾玉 1個他が出土 瑠璃壁は秦の始皇帝が珍重したと伝えられている中国の天を祭る 宝器で、中国においても瑠璃壁を所有することの出来るのは 限られた権力者であった。三雲に倭王の存在を示すものである。 年代としては平原遺跡よりも古く、BC1世紀後半と見られて いる。 右側の写真で森の手前右に男王墓跡、左に王妃墓跡が見える。 また森の奥は細石(さざれ石)神社で、祭神は「ににぎの命」の 奥さんである「木花さくや姫」と姉の「磐長姫」。 三雲南小路遺跡の王はクシフル山の西にあり、この王墓より 古い須玖岡本遺跡や吉武高木遺跡はクシフル山の東にある。 従って三雲南小路遺跡の王は博多湾側からクシフル山・日向峠を 越え、西側に王都を移した最初の王とみられる。 |