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前原遺跡の女王は日向峠に向けて埋葬されていたという。写真手前は 女王墓跡で、後方の山脈右端の最も低い部分にある日向峠を向いて 埋葬されていたという。山脈左の最も高い部分は高祖山(416m)、 その右にクシフル山、そして東原山から日向峠に続く。 10月20日の日向峠から昇る朝日が女王の体の中央を指す位置に なるという。10月は山沿いで稲刈りの始まる時期であり、一方 高祖山から太陽が昇る時期は苗代の時という。稲作との深い関係が 読み取れる。またその墳墓から日向峠の方向に17.5m離れた場所に 直径70cm長さ20mの柱が建てられていたという。柱は天に昇る 梯子を意味するという。井手さんは柱跡については井戸なのか、 御柱の跡なのかは検証すべきという。例えば三内丸山遺跡でも実施した ように穴の底部の土への圧力を測定すれば確認できる。このような取り 組み姿勢は基本であり、大切なことと思う。 一方クシフル山の意味は井手さんのご説明では「不思議に振るう山」 ということで、この山から太陽が出る9月1日はいわゆる210日に 相当し、台風が来ると恐れられて付けられた名称であるといわれて いる。台風は稲の実りの全てを奪う最大の脅威であり、古事記ではスサ ノオの神がその役を担っているといわれている。 「クシフルと日向」の地名を聞くと古代史ファンは「天孫降臨」に 登場する地名を連想する。九州大学医学部教授であった中山平次郎氏が 80年前に福岡県旧糸島郡が天孫降臨の地であるという説を発表した。 このことについては後述する。 |