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邪馬壹國の誕生を卑弥呼が即位した西暦183年と考えた時に、 わが国の王権のシンボルである「鏡・剣・玉」の3種の神器を 持った王国は何処に存在したのだろうか? 上の図は、その頃までに繁栄し「鏡・剣・玉」が発見された 北部九州における王都の遺跡の場所である。 弥生時代の遺跡は数多く存在するが、3種の神器が同時に同じ 場所(同じ甕・棺)から発見された遺跡は極めて少ない。 また時代の変遷とともに王都が変遷していることも分かる。 上の図は卑弥呼の時代に近い順番に A:福岡県前原市 平原遺跡 B:同 三雲南小路遺跡 C:福岡県春日市 須玖岡本遺跡 D:福岡市 吉武高木遺跡 の所在地を示す。 Aの平原遺跡が最も卑弥呼の時代に近く、Dの吉武高木遺跡は 最も古い王都と考えられている。更に近年壱岐ではBC3世紀の王都 と思われる遺跡の発掘も進んでいる。 今回福岡県については平原遺跡を発掘された考古学者故原田大六氏の 薫陶を20年に渡って受けた井手将雪氏が、また壱岐については 壱岐の語り部の占部英幸氏が詳しく案内して頂いたので、その内容を 皆さんに紹介したい。 |