壱岐は古事記発祥の地か

月読神社 月読神社

 占部さんによれば壱岐は古事記発祥の地であるという。
712年に成立した古事記は太安万侶が「稗田阿礼」から聞いたことを
まとめたとある。壱岐にある天手長男神社の近辺に「稗田」という場所
があり、「阿礼」というのは、そこで生れたという意味であるという。
また神様を扱う神祇官20名が奈良の都で国占いを行ったが、その内訳
は対馬から10名、壱岐から5名、伊豆から5名が選ばれたという。
すなわち古事記の成立に壱岐が深く関わっていたという。

 壱岐には古事記に登場するほとんど全ての神様が祭られており、その
代表の一つが上の写真の「月読神社」である。古事記では「禊払えと
三貴子」に「月読命」が天照大御神の弟として登場する。
すなわちイザナキノ命が左の目を洗ったときに天照大御神が生まれ、
右の目を洗ったときに月読命が生れたというものである。月は太陽と
ともに古代から大きな影響を持っており、月の満ち欠けで潮の流れを
読み、また農業にも役立てたことを反映しているものと思われる。
右の写真はお社の中の中央正面上部に掲示されて額で「月読大神」の
文字は第112代霊元天皇(ちなみに明治天皇は第122代)の直筆
といわれている。また京都松尾大社の東にある月読神社は487年に
ここから分霊したものだという。
 ところでイザナキノ命が禊をした場所は古事記には「筑紫の日向の
橘の小門」とある。
「筑紫の日向」は「天孫降臨」の場所として登場しており、福岡市と
前原市の境の博多湾を望む場所である。
JRの下山門(しもやまと)駅から博多湾沿いに行くと、小戸(おど)
の浜があり、美しい入り江になっている。
近くには小戸大神宮があり、祭神は天照大御神。


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