魏使の船が停泊した港

魏使の船が停泊した港
 写真の奥右側が「原の辻遺跡」の近くを流れる幡鉾川の河口です。
この湾内まで魏の使者は大型船で来て、小船に乗り換えて幡鉾川を
遡り、「一大国」の都に入ったものと思われる。ここは玄海灘から
内海に入った湾である。

 壱岐は6−7世紀になって更に発展をとげていたことが分かる。
それは例えば双六古墳(全長91m、長崎県内最大の前方後円墳)や
鬼の窟古墳(直径45m、長崎県内最大の円墳)などの古墳群や、
旧寺の軒丸瓦が奈良の平城宮の瓦と同じ笵であることなど実際に
見させて頂いた。また壱岐は「春一番」という言葉のルーツでも
あり、「むぎ焼酎のルーツ」でもあるという。更に観光面でも
例えば「猿岩」などの景勝地もある。是非壱岐への訪問を
お勧めします。
 今回の旅(2005年6月6〜9日)は「邪馬壹國のルーツ」を
探る旅でした。
邪馬壹國に最も近い時代の女王墓「平原遺跡」は昭和40年に
2千年の眠りから偶然発見されたわけで、このような王都が
まだ次の発見を待って眠っているのではと思います。
井手様、占部様、現地では大変お世話になりました。
今後もよろしくお願いします。


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