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平成14年7月「原の辻遺跡」の石田大原地区で朝鮮半島製の 多紐細文鏡の破片、細型銅剣5本分以上、勾玉2点、管玉25点 などが出土した。年代面ではBC2−3世紀とみられている。 原の辻遺跡には直径1m高さ20mの柱が立っていたといわれて いる。何のためかは定かではない。 権威の象徴か、祈りか、太陽による季節の運行を知るためのものか、 平原遺跡と類似した柱がここにもあったことになる。 角田先生の「邪馬台国 五文字の謎」では金印「倭委奴国王」を 手がかりに壱岐の「一大国」は元々は「壱国」であり「邪馬壹国」 のルーツであるという結論に達している。読み出すと止まらなく なる推理小説である。 占部さんは「一大」とは「天」の意味であり、「一大国」は「天 (あま)つ国」であるという。更に占部さんは壱岐は徐福が辿り ついた場所ではないかと考えている。徐福は秦の始皇帝の命により、 不老不死の薬を求めてBC219年製鉄技術者、造船技術者、土木 技術者など3000人で稲や農耕機具を携えて出航し、わが国に 辿りついたといわれている。壱岐に製鉄の技術が早くから伝わって いること、そして「徐」の名乗(なのり)読みは「ゆき」といい、 壱岐は「ゆき」ともいうことから徐福が命名した隠れ国名ではと 考えている。「邪馬壹国のルーツ」が「徐福のルーツ」に発展し そうな感じになってきた。 |