山誉め祭

山誉め祭

  この写真(2004年4月15日撮影)は4月と11月に開催される「山誉め祭」の場面である。
  この中で「君が代のルーツ」と思われる口上が述べられる。

  君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで
  あれはや あれこそは 我が君のみふねかや うつろうがせ 身骸に命 千歳という
  花こそ 咲いたる 沖の御津の汐早にはえたらむ 釣尾にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや

  志賀の浜 長きを見れば 幾世経ぬらん 香椎路に向いたる あの吹上の浜 千代に八千代まで
  今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船なりけるよ あれはや あれこそは 安曇の君のめし給う
  御船
になりけるよ いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良が崎に 鯛釣るおきな

  写真右側に座っている社人は鯛の役をしている。この口上の中の「君」とは博多湾を制した豪族
  「安曇の君」をさしていると考えられ、全体として主君の船を喜んで迎える素朴な感情が表れている。
  安曇族は720年に編纂された日本書紀に登場しており、神社の歴史を考えると上記の山誉め祭の
  口上が最も「君が代のルーツ」に近いといえるのではないか。

  また福岡県庁の近くの町名は「千代」であり、更に前原市には細石(さざれいし)神社がある。福岡県
  糸島郡の桜谷若宮神社の祭神は苔牟売神(こけむすめかみ)という。ここも一度訪問してみたい。

    


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