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津軽一統志の附巻では光信の祖父は金沢右京亮といい、仙北で 戦死したとあります。 「仙北」は現在の秋田県横手市金沢中野の地を指します。 そこに戦国時代の 金沢城があり、標高172メートルの丘陵の 中に築かれた山城です。石川県の金沢市と同じ字ですが、ここでは 「かねざわ」と読みます。昔、本丸の近くにある清水が流れる沢を 昔「金洗沢」と呼び、金沢の地名の元となったと言われています。 この金沢城が光信の祖父金沢右京亮が戦死した場所です。 金沢城はかって「後三年の役」(永保3年1083年)で 清原家衛が源義家・義光兄弟と清原清衛を相手に戦った「金沢柵」 の跡地に比定されています。 現在は右の写真のように金沢公園として整備され、近くには 「後三年の役金沢資料館」もあり、当時の合戦の様子が詳しく 紹介されています。 この戦いの勝者である「清原清衛」は奥州藤原三代の初代 「藤原清衛」となり、「源義家」は鎌倉幕府を開いた源頼朝の 祖であり、また「源義光」は甲斐源氏の祖といわれています。 「後三年の役」の中心となった金沢は歴史的に大きな転換を生んだ 地といえます。 |