久慈

久慈

「津軽一統志」の中で津軽藩初代藩主為信の直系の祖は藤原光信と
しています。
光信は1491年、32歳のときに久慈から36騎の武士と共に、
鯵ケ沢地区の赤石川中流に種里城を築いたとされています。

津軽一統志の附巻に光信のルーツについて記載があります。
光信の祖父は金沢右京亮と言い南部屋形様の三男。仙北で他界。
その子は南部右京亮で大曲和泉守が守って久慈で信濃守となり、
久慈で他界。 第三代光信が久慈より津軽へ入部とあります。
久慈は南部氏が拠点としていた所領の一つです。

また南部氏の記録では為信は久慈治義の次男で治義逝去後、母と
ともに津軽に出奔とあります。すなわち、津軽の記録でも南部の
記録でも、為信のルーツをたどると「久慈」に行き着くことに
なります。

久慈とはどこにあるのでしょう。 私は2006年に久慈を訪問
しました。久慈は現在の岩手県久慈市で太平洋に面しています。
青森県の八戸市から列車で2時間弱のところです。
久慈湾に流れる久慈川の中流に久慈城跡があります。
現地を訪問してみると、光信が赤石川の中流に築いた種里城と
久慈城との類似性を強く感じます。


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