種里城所在地

種里城所在地

 津軽藩の拠点「弘前城」は、この地図のA印です。また為信が
大浦を名乗った「大浦城」はB印にあります。
光信公が築いた「種里城」はC印です。

為信の実父は武田甚三郎守信ですが、18歳で守信の兄為則の養子と
なり、大浦城を継ぎます。大浦城は為信が拠点とした城です。
大浦城は岩木川中流域の旧岩木町(現弘前市)賀田に築造された
城で、現在は津軽中学校の敷地になっています。
大浦の「浦」とはもともと海や湖が湾曲して陸地に入り込んだ所、
あるいは海辺を意味しますので、基本的には海に関わる言葉です。
私はなぜ、岩木川中流域に築かれた城の名称が大浦城なのかと疑問に
思っていました。しかし、日本海に臨む鯵ケ沢の種里を拠点とした
光信が長子盛信のために造った城であることを考えれば納得できます。
「大浦」という名称は津軽藩にとっては極めて重要な地名で、
江戸時代に本丸の東側に最も近い町として「大浦町」が名付けられ、
現在も残っています。

鯵ケ沢に隣接する深浦町には、有名な「黄金崎不老不死温泉」が
あります。この温泉は日本海に沈む夕日の眺めが抜群です。光信が
大浦と命名した思いが伝わってくるようです。
ぜひ皆さまも、種里城趾と不老不死温泉を訪ねてみてください。


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