シャム王国から琉球王国へ、そして薩摩へ

シャム王国から琉球王国へ、そして薩摩へ

 薩摩には何時、どこから「焼酎」が伝わったのでしょう?
1515年琉球王府から島津藩への進物の中に「焼酒一甕」という記録があります。この頃は中国流の
「焼酒」という表記であることと、贈答品としての位置づけです。薩摩での焼酎生産はこの後に始まった
ものと考えられます。沖縄では琉球を統一した第一尚氏王統の時代(1423−1469年)には既に
蒸留酒である泡盛が製造されていたといわれています。その琉球に蒸留酒製造の技術が伝えたのはシャム
王国(現在のタイ)といわれています。タイ国のタイ米を用いた蒸留酒は「ラオ・ロン」(王の館の酒)
と呼ばれ、この技術が交易により琉球に伝えられたことにことになります。タイでは1000年頃に蒸留酒を
製造していたことが中国宋の時代の書物に紹介されています。

 「焼酒」の我が国への重要な伝来ルートはもう一つあります。1404年朝鮮王朝より対馬領主へ
「朝鮮焼酒」が届けられています。この後薩摩と似た時期に壱岐での焼酎製造が始まったものと思われます。
壱岐は「麦焼酎発祥の地」として知られています。

 また現在では沖縄の蒸留酒は「泡盛」と呼ばれますが、1644年に琉球から将軍家へ献上された目録
には「焼酒」と表記されており、1671年以降は「泡盛」と表記されているとの由。最初は「焼酒」だった
のですね。


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