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この写真はJR駒込駅に近い染井吉野桜記念公園にある「染井吉野桜発祥の地」の碑です。 染井の里には1657年の江戸の大火振袖火事の後に各大名の下屋敷がおかれ、この地域は庭園の手入れを する植木屋が集まったといわれています。染井吉野生みの親として有力視されているのは江戸一番の植木屋 といわれた伊藤伊兵衛の四代目政武(1676−1757)です。伊兵衛政武は八代将軍徳川吉宗に かわいがられ、江戸城内の庭師をつとめました。また伊勢の国津藩主の藤堂家の下屋敷に植木職として つとめ、苗字帯刀を許されていたといわれます。政武はつつじ、梅、桜、りんご、菊人形と様々な植木を 作り、また植物学者として1694年から1737年の間に33冊の本を残しています。 染井吉野は1720ー1735年頃政武によって生み出されたのでは考えられており、当初は桜の名所 として名高い奈良の「吉野桜」の名前で売り出したといわれています。「染井吉野」と命名されたのは 1900年(明治33年)といわれています。(詳細を次に示します) 政武の菩提寺であり、藤堂家の祈願寺でもあった染井の「西福寺」には「染井吉野の里」の碑があります。 |