「染井吉野 」の命名

「染井吉野 」の命名

 「染井吉野」が論文で初めて発表されたのは1900年(明治33年)の「日本園芸会雑誌」92号に
藤野寄命(よりなが)博士が寄せた「上野公園桜花の性質」の中といわれています。藤野博士は東京博物館の
職員として明治18年から19年にかけて、上野の山の桜を詳細に調査し、移植されて間もない見慣れない
桜を発見。それが染井から来た桜であることを突きとめて、染井から来た吉野桜の意味で「染井吉野」と
命名したといいます。調査報告書は明治24年に作成されておりましたが、公表されたのは明治33年と
なったとの由。更に植物学の権威であった東京帝国大学の松村任三教授が学名Prunus yedoensis
をつけ、1901年植物学雑誌15巻で発表したといわれています。


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