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左の写真は四隅突出型墳丘墓の代表格で王と王妃の棺が発掘された3号墓の復元模型、右の写真は 現在の状態です。西暦200年頃の王墓と見られている。方形部の規模は東西が40m、南北30m、 高さ4mで、4隅の突出部を含めると長辺50mにもなる巨大な墳丘。4隅の突出部を有する墳墓は 他の地域では見られない独自の形式である。 第4主体と名づけられた3号墓の最も中心となる王の墓では、棺を埋めた後に4本の巨柱を用いた 施設が建てられ、棺の真上には朱の付いた丸い石が置かれ、その上に200個体の大量の土器が発掘された という。また副葬品として鉄剣とガラス製の首飾りが出土した。鏡は出土していないので、北九州の王墓 との違いを感じる。第1主体と名づけられた王妃とみられる棺からはガラス製の首飾りとともに勾玉など 各種玉類が大量に出土した。この勾玉は穴が2個あいており、形も特殊な形をした珍しいものである。 王墓の中央の土器は出雲の土器に加え、北陸地方および吉備地方からの土器も大量に含まれており、 この王の交流の広がりを感じさせる。 斐伊川を望む独立丘陵に位置する9号墓は更に大きく、東西42m、南北35m、高さ4.5mに 4隅突出部が付くもので四隅突出型墳丘墓の完成型と見られる。この王墓は西暦240年頃と見られる。 |