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「西谷墳墓」から「荒神谷遺跡」に行くには「斐伊川」を超える。 斐伊川は船通山(1143m)を源流とし、宍道湖へ注ぐ153kmの1級河川である。船通山は別名 「鳥髪の峰」と呼ばれ古事記ではスサノオ尊が天降った場所といわれる。 斐伊川は出雲風土記が編纂された733年には出雲大川と呼ばれ、なんと宍道湖ではなく、西の日本海に 流れていたという。1639年の洪水により、その流れは現在の姿になったという大変な暴れ川である。 古事記の「八俣の大蛇」は斐伊川が古来何度となく氾濫し、特に台風により暴れ狂う様を示したものといわれる。 斐伊川は天井川といわれる。天井川というのは川底の高さがまわりの平野よりも高い川のことをいう。 斐伊川上域では古来砂鉄を精錬して鉄をつくる「たたら製鉄」が盛んに行われ、その砂鉄採取のために山肌を 削り土砂を川に流し、比重の違いで砂鉄を分離する「鉋流し」という方法で、土砂を大量に川に流したために 下流域に多量の土砂の堆積をもたらした。これが天井川を作り、氾濫の被害を大きくした。 |