出雲大社

拝殿前銅鳥居 拝殿


 拝殿前の銅鳥居は1666年に毛利公が寄進したもので、ここの銘文にはスサノオ尊が祭神と記載されている。
鎌倉時代から江戸時代初期までスサノオ尊が祭神だったというのも謎の一つである。大国主神は平和の神であり、
スサノオ尊は戦いの神とされていることから、戦国時代にはスサノオ尊が適しているという考えがあったのでは
ないだろうか。

 右の写真は拝殿であるが、この注連縄に出雲大社の次の謎がある。この写真では少し分かりにくいが注連縄の
始めが左側になっている。すなわち注連縄の向きは左から右になっている。通常の神社ではこの逆になっている。
神社の説明では大社においては、左を価値の高いものと考えているので、このような配置になったという。皆さんも
今度神社に参拝した時には、この注連縄の根元の位置にも注目してみたら如何でしょうか。

 次の謎は参拝の仕方である。通常の神社では2礼2拍手1礼が参拝の礼儀とされている。しかし出雲大社では2礼
4拍手1礼となっている。神社の資料では元々大社では重要な祭典では8拍手、それ以外の祭事では4拍手となって
いた。明治初期に「神社祭式」が定められ、通常の神社では2拍手に統一されたが、出雲大社では古くからの慣習を
生かして現在まで続いているという。


次へ

出雲大社と出雲の国のルーツへ戻る

ルーツの広場へ戻る

トップへ戻る