リーフデ号

リーフデ号


 1600年(慶長4年)豊後の国(現在の大分県臼杵市)にオランダ船リーフデ(Liefde 慈愛)号が漂着した。
この船は1598年スパイスの産地インドネシアのモルッカ諸島と黄金の国ジパングを目指して、オランダの
ロッテルダム港を出発した5隻の内、たった1隻日本にたどり着いた船である。

上の写真はこのリーフデ号の彫刻で、現在の丸の内2丁目にある。この船に後に三浦按針として
知られるウイリアム・アダムス(イギリス人)と「八重洲」のルーツとなったオランダ人ヤン・ヨーステン
(Jan Joosten van Lodensteyn)がいた。

二人は徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。
ヤン・ヨーステンが家康から与えられた屋敷は和田倉門に近い場所で、江戸時代は「八代洲川岸」と
呼ばれたという。このリーフデ号の彫刻がある場所と言われている。


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