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「南部光行公」は甲斐源氏の祖といわれる新羅三郎源義光から 三代の加賀美次郎遠光の三男で、1180年兵をあげた源頼朝に 従い、平氏討伐に戦功があって、この地を与えられ地名をとって 南部三郎光行と称したといわれています。 山梨県南部町には南部氏がこの地を領していたころの菩提寺も あります。左の写真は菩提寺「妙浄寺」で、寺紋には南部氏の 家紋である「向鶴」が使われています。 この地が南部氏のルーツであり、盛岡南部藩のルーツはもとより、 津軽藩の祖である光信のルーツであり、従って為信のルーツにも なります。 現地で伺いますと岩手県盛岡の中学校と、この南部町の中学校が、 南部氏の祖を接点として現在も交流しているとの由。 津軽藩のルーツを辿ると青森県、岩手県、秋田県そして山梨県に わたる歴史のドラマがあったことになります。 |