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良寛様は1758年出雲崎の名主橘屋山本家の長男として生まれ、 本名は山本新左衛門文孝という。この写真は生家橘屋跡にある 良寛堂です。出雲崎は江戸時代は幕府直轄の天領地で7万石の代官所 がおかれ、佐渡金山荷揚げの重要な港町として繁栄したといわれて います。 橘屋は廻船問屋の豪商であり、名主であるとともに石井神社の神主も つとめていたとのこと。 良寛様は18歳で名主見習役となったものの、22歳で出家し、良寛と なのり修行の道に入ったとのこと。 出雲崎には良寛記念館が建てられ、遺墨や遺品が展示されています。 般若心経の写経もありますが結構脱字もあるようで、人間らしさが 感じられます。 ところで良寛様の生誕の地「出雲崎」とは出雲大社のある島根県の 出雲と関係がありそうです。 橘屋が神主を務めた「石井神社」の祭神は「大国主命」です。 大国主命は出雲大社の祭神です。 社伝には昔、大国主命が佐渡を平定しようとここまで来たが、船が ない。そこで、石の井戸の水を汲んでまくと一夜で十二株の大樹が 繁った。その霊樹で船を造り、佐渡を平定した。 また、その船で海を渡ると、大小の魚達が船を守り助けたので、この 宮を造り海上守護の大神を祀ったと伝わる。古代出雲から日本海を 北上した人々のこの地に残した足跡です。 |