玉垂命

高良大社


 高良玉垂宮神秘書の驚くべき内容を紹介します。
1)玉垂命(高良大菩薩)は神武天皇の弟であり、住吉五神の一人
「底筒男尊」である。
2)玉垂命(高良大菩薩)は神功皇后と夫婦になっている。
3)神功皇后は9人の皇子を生み、4人は仲哀天皇の子、5人は
玉垂命の子である。
4)神功皇后が崩御されたとき、玉垂命(高良大菩薩)は竹内大臣
とともに皇宮を出て、3種の神宝を預かった。
5)玉垂命(高良大菩薩)は皇宮から船で大善寺につき、新しい
船を調達し、酒見(現在の大川市)や黒崎(大牟田市)に向かった。
6)履中天皇の時(400年)高良山に初めて仮社を造った。

上記の内5)は九州統一の過程の一部を示すものと考えます。
また仲哀天皇も神功皇后も筑紫の香椎宮におられたことから、
上記4)の「皇宮」のあった場所は博多の香椎と考えます。
神武天皇は筑紫より東遷し大和朝廷の基礎を創ったとといわれて
おり、その弟である玉垂命(高良大菩薩)が九州(倭国)の統一
に向かい、新たな皇宮は香椎から大善寺を中心とする高良山の麓
(現在の久留米近辺)に移したということになる。

日本書紀上巻に登場する歴代天皇の中で名前に「タラシ」が付く
天皇が5名います。
特に景行天皇(オオタラシヒコオシロワケのスメラミコト)以下
の4名については歴史研究者の間では他の天皇との系列の違いが
あることが指摘されている。
神功皇后は「オキナガタラシヒメのミコト」であり、また先に
述べた隋の皇帝に「日出る処の天子」の国書を送った倭国王
「多利思北孤」も「タリシ」である。
「タラシ」とは如何なる意味を持つのでしょうか。
「日本書紀研究」(三品彰英氏)によれば「タラシ」の原形は
「足る」であって、何事にも満ち満ちている状態、すなわち
人徳・富力・武力の充実している状態を意味するという。
このことは大王の条件である。
高良玉垂宮神秘書に示された内容からすれば「玉垂命」は
倭国王「讃」の2代ほど遡る倭国の王(タラシ系)の祖と
なった王ではないかと考える。


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