「狛犬」のルーツ

「狛犬」の原形はライオンである、といわれています。

古代オリエントの王宮の前に獅子などの像を置いて守護とする風習や、王は百獣の王を膝下
に据える威を持つといった獅子座の思想、さらに、インドから仏教における仏たちが座す獅子
座が中国に伝えられると、中国ではライオンが霊獣化し唐獅子が生まれ、寺院や陵墓の前に
獅子などの像を置いて守護とする風習が起こりました。

これらのものが遣隋使や遣唐使により、また、朝鮮半島を経由して日本にも伝えられ、狛犬
のルーツになりました。


 「獅子・狛犬」の誕生

中国から守護獣としての獅子とその背景の思想が伝えられると、天皇の守護として宮中に
獅子の像が置かれるようになりました。
そして、この像を阿・吽の形式にし、一方には頭に角を持たせて“狛犬”と名付けて“獅子”
とは別の霊獣にし、“獅子”と“狛犬”を一対の像にして「獅子・狛犬」と呼ぶようになりました。

  * 阿・吽の形式は仁王像の阿形・吽形に倣ったものといわれています。
  * 狛犬の角は、“ジ”(牛に似ていて角が一本しかない黒い獣で、その皮は堅厚で、
   古くはこれをもって鎧を造るとあります)や“カイチ”(頭部に一角を有し、人が闘う
   ところを見れば邪悪なる方に挑み、人の論を聞けば不正の方を噛むといい、正
   邪を分かつ獣)といった中国の霊獣の影響を受けているといわれています。

平安時代の大治年間(1126〜1130)に書かれたある書には、「左獅子 於色黄 口開 右胡
麻犬 於色白 不開口在角」(左側に口を開いた黄色の獅子、右側に口を閉じた角のある白
色の狛犬)とあります。
“獅子”と“狛犬”は一対で置かれていますが、それぞれを別のものとして区別していたことが
わかります。


 「獅子・狛犬」の居場所

当初は天皇の守護として、宮中の御帳の前に置かれていた「獅子・狛犬」が、守護獣としての
思想が神社や寺院にも広がるようになると、神像や仏像の前にも置かれるようになりました。

後に、「獅子・狛犬」は神殿や仏殿の軒下に移り、やがて門前や参道に置かれるようになりま
した。


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