常陸風土記

常陸風土記


   常陸風土記の総記に重要な記載があります。それは相模の国の足柄の坂より東は「我姫(あずま)の国」
といい、この時は常陸といわず、新治・筑波・茨城・那賀・久慈・多珂の国といったという。その後
大化の改新(645年)以降に「常陸国」が成立し、「茨城国」は「茨城郡」になったことになる。

 さて肝心の「茨城」のルーツについて常陸風土記では上記にあるように、「黒坂の命」が賊を茨を
用いて攻めたこと、あるいは「茨」をもって「城」(き)を造ったことが「茨城」の由来であることを
述べている。

 しかしながら「城」(き)というのは、古代中国において、自分の領地を囲んだ土塁を意味している。
ちなみに「万里の長城」は英語では「The Great Wall」といい、敵から自国を守る壁を意味する。従って
「城」というのは本来は守る側が造るものである。「黒坂の命」は攻める側すなわち官軍側であるから、
もし「茨」をもって「城」を造ったのが事実ならば、それは守る側すなわちその土地の住民/豪族が
造った筈である。


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