世界最古の木造建築といわれる奈良の法隆寺。
法隆寺は日本の古代史で最も大きな謎の一つを秘めている。720年に成立した日本書紀には
法隆寺が何時・誰によって建てられたが記載されていない。ただ670年に火災で「一舎を残さず
焼失した」とある。実際に火災の後と思われる壁画片も最近出土している。従って現存する建物は
670年以降のものでなければならない。
しかし五重塔の心柱の伐採年は年輪年代法によって594年に伐採されたことが確認されている。
また金堂の中央に安置されている釈迦三尊像の光背には、この像を造った理由と年が刻まれている。
それによると法興元31年辛巳の年(621年)に鬼前太后が亡くなり、翌年(622年)に王后と
上宮法皇が亡くなり、癸未の年(623年)にこの釈迦三尊像を造るとある。
日本書紀には621年に聖徳太子が亡くなったことが記載されているが、上記のことは一切記載
されていない。更に「法興」という元号は大和朝廷の元号にはない。(645年の大化が初めて
とされている)670年に一舎を残さず焼失したとの記述との矛盾、そして日本書紀には無い元号が
登場するこの謎を解く鍵は?
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