伊都国

伊都国


魏使は末廬国から伊都国(現在の前原付近)に向かいます。
魏志倭人伝に伊都国には代々王がいたこと、諸国を検察する一大卒が
おかれたと記載されているように、伊都国は当時の政治外交の実質的
中心地であったと考えられています。

前原では既に重要な弥生時代の遺跡が発掘されていますが、昭和40年
に質量とも我が国最大規模の副葬品を伴った女王の遺跡が2000年
ぶりに発掘されたのです。平原遺跡です。
この遺跡の調査は考古学者の故原田大六氏が調査責任者として行い、
割竹形木棺墓から次のような驚くべき副葬品が発掘されました。
 鏡:わが国最大の鏡 八咫鏡 4面、後漢鏡 35面
 剣:鉄製大刀(長さ81cm)1本
 玉:瑠璃勾玉3個、丸玉 約500個、連玉 約300重、
   瑠璃紺色小玉 492個他

前原には平原遺跡より更に古い三雲南小路遺跡があります。前原には
邪馬壹国が誕生する前から王国があったのです。平原遺跡や三雲南小路
遺跡の詳細については、「邪馬壹国のルーツ」を参照してください。

現在の糸島半島には「怡土」の地名が残っています。「怡」という
言葉は「心を和らげる/なごやかにする」という意味を持っています。
魏志倭人伝には「伊都国」と記載されましたが、元々は(倭語では)
「怡土の国」の意味と推測します。


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