末廬国

末廬国 くんち


写真左は末廬国の再現です。稲作は弥生時代の生活の基盤であり、
稲作に適した場所に弥生時代の国が出来たことになります。
稲作は富と力の源泉です。末廬国は稲作に適した松浦川の流域に
あった国です。
2000年の時が流れても地名として松浦半島があり、松浦川が
残っています。「末廬」は「松浦」を意味していたと思われます。

また北部九州は朝鮮半島に近く、古くから人の交流があった地域
です。「末廬」という国の名前は、古代朝鮮半島にあった加耶
諸国の一つ「末羅国」(現在の慶尚南道の密陽)からきている
とする説もあります。
また「唐津」も元々は「加羅の津」(津は港の意味)からきて
いると考えられ、韓国南部にあった古代の国「加耶(加羅)」
との人的交流の結果として名付けられたものといえます。

さて現代の唐津名物の代表は「唐津くんち」です。駅前にも
大きな曳山像があります。「唐津くんち」は唐津神社の秋祭り
として11月に行われ、曳山として獅子頭や金魚など14台が
出るそうです。ところで「くんち」とはどのような意味なので
しょうか。「くんち」とは「供日」すなわち五穀豊穣を感謝し、
神様に「お供えする」という意味とのことです。


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