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左は高良山の麓にある「磐井の清水」です。高良玉垂宮神秘書には 「ホウルイ」と記載されており、高良三井の一つとなっています。 「ホウルイ」は漢字では「法類」と書き、仏法の用語とのことです。 現地には写真のように「磐井の清水」と表記されています。こちらの 方が元々の意味と思います。ここも高良山の岩から実に清らかな水が 出ています。右はその清水が流れる「磐井川」です。 この「磐井」というのは重要な情報です。高良玉垂宮神秘書には、 元々「岩井」だったのが三つの井があることから「三井」と呼ぶと 記載されています。すなわち三井(御井)の地名は元々は「岩井」 だったいうことです。 日本書紀に528年継体天皇軍と戦う「筑紫君磐井」が登場します。 「筑紫君磐井」はここ御井の地で戦っています。私は日本書紀に登場 する筑紫君磐井の「磐井」は筑紫の王の個人名かと思っていました。 しかしながら、高良玉垂宮神秘書にあるように、ここ御井は元々岩井 と呼ばれていたのであれば、また日本書紀にあるように筑紫君磐井が 戦った場所がここ御井であれば、「筑紫君磐井」は、この地を拠点と した筑紫の王ということになります。地元の関係者には高良山の麓 には磐井城があったと伝えられているとのこと。 御井の旧名は「磐井」(岩井)だったのです。その意味するところは 「三井」(御井)と変わらず、岩から湧き出す清らかな水が出る地と いう意味だった筈です。 日本書紀の編纂された700年代は、この地は「御井」であり高良山 神秘書によれば、三井は元々は「岩井」だったことから、筑紫君磐井 が戦った500年代はこの地は「磐井」だったのです。 更に、卑弥呼がいた200年代は、この地は「山井」(邪馬壹)だった と考えています。 |