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この墳墓で驚くべきことは、墳丘外周に発掘された分で62基の墓が 発見されたことです。この墳墓は全体の2/3程度しか発掘して いないので完掘すれば100基程度になると推定されています。 主棺は盗掘されていたものの、周囲にあった棺からは重要な副葬品が 発掘されています。後漢鏡片・勾玉・剣・鉄鏃が発掘されています。 この墳墓の時期は久留米市史によれば三世紀末とされています。 この墳墓は卑弥呼の墓として最も有力なものと考えます。 祇園山古墳は見学が容易です。卑弥呼が眠っていた主棺の上に立つと 久留米の町が眼下に広がります。 後ろには高良山がそびえています。「卑弥呼」は日本語表記すれば 「日巫女」であり、カリスマ的女王です。 古代から神聖視されてきた高良山の麓は卑弥呼の墓の位置として実に ふさわしいと考えます。 卑弥呼の墓の条件の第4項を考える際に参考となる情報があります。 1912年に朝鮮半島で卑弥呼の時代の魏の帯方郡の太守の一人 「張撫夷」の墓が発見されています。その墓は方台形の土墳で基底部の 一辺が約30m高さ約5mとされています。 この大きさも「祇園山古墳」に類似しています。 近畿説では箸墓古墳が卑弥呼の墓の有力候補となっています。 箸墓古墳は全長278m(後円部150m)の巨大な前方後円墳で、 私も現地を訪問しましたが、規模が違います。10年以上の歳月を かけて築造されたものと考えます。 箸墓古墳の築造時期は周辺の土器などから検討されていますが、 古墳そのものは宮内庁所管になっており、埋蔵施設など本体部分の 調査は実施されていません。全体として卑弥呼の墓の4条件とは相当 かけ離れていると考えます。 |