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「邪馬壹國」は倭語ではどのように表記し、どんな意味なので しょうか。 漢字の発音は呉音もあり、漢音もあります。魏志の時代は都は 洛陽ですから本来ならば3世紀の洛陽音で研究することが求め られます。中国語の発音は大別すると上古音(周・秦時代)、 中古音(隋・唐時代)、中原音韻(元時代)、現代語と区分 でき、洛陽音はどちらかというと上古音に近いようです。 学研漢和大字典が参考になります。 また倭人伝の表記は倭語の地名を中国語に反映していますから 当字として漢字表記をしていると考え、本来の倭語を推測します。 まず分かることから考えてみます。 「邪」はヤです。「馬」は「斯馬国」が倭語では「嶋国」とみる ことができますので、マと考えます。最後の「壹」はイに近く 「邪馬壹」の倭語は「ヤマイ」と考えます。 それでは「ヤマイ」というのは倭語ではどのように表記するの でしょうか。「ヤマイ」は「山井」と考えました。 井は水の湧き出るところですから「山井国」というのは「山と 水の国」の意味と考えます。 「山井国」は720年に編纂された日本書紀には登場しませんが 筑紫平野の中心に存在する「御井」が登場します。 肥前国風土記には「筑紫国御井郡」として登場します。 「御井」という場所は現在の久留米市で、筑後一之宮の高良大社 がある高良山の麓にあります。「御井」というのは「泉」の美称 であり、御井は三井とも記載されるように三つの名井があります。 名井の代表は高良山の麓にある「朝妻の井」です。二つ目は 「磐井の清水」です。三つ目は「徳間の清水」です。 これらの名井と「御井」(三井)「磐井」の地名については後ほど 紹介します。 「邪馬壹國」は「ヤマイ」国であり、「山井」の「山」というのは 高良山、「井」というのは高良山の麓に湧き出す清らかな水(泉) と考えます。 久留米は、筑紫平野の中心にあり、古代より宗教・軍事・交通の 要衝となったところです。ちなみに日本書紀に記載されている筑紫 の君磐井と528年の継体天皇軍との決戦の場も筑紫の三井(現在の 久留米)です。 筑紫の君磐井の「磐井」というのは高良山の麓の三井(現在の御井) の地名から出たことは後述します。 御井は奈良時代には筑後の国府がおかれた場所で、国府跡も発掘 されています。 「邪馬壹國」の時代も奈良時代も、御井は古代から宗教・軍事・ 交通の要衝でした。700年代の奈良時代は「御井」と呼ばれ、 500年代は「磐井」と呼ばれ、卑弥呼の時代は「山井」国であり、 「邪馬壹國」であったのです。 卑弥呼の墓も高良山の麓で発掘されていたのです。 |