玉田賓館で玉田県档案局王局長主催の歓迎の祝宴をして頂いた。
この中で「玉田県」誕生の由来を詳しく教えて頂いた。
玉田県は中国の古代春秋時代(BC600年頃)は「無終子国」に属していた。
「無終」とは終わりの無い即ち永遠の発展の国の意味で「子」は当時の国のランクを意味し
規模が大きい順に「公」「候」「伯」「子」「男」の5ランクで呼称されたとのこと。
無終子国の名残は現在の地名にも残っている。玉田賓館の住所は玉田県無終西街2995号と
なっている。
この地が「玉田県」になったのは西暦696年、唐の武則天后の時代という。その由来は
玉田県の中心から北に5kmのところにある麻山の頂上に建てられた「古人種玉處」石碑に
深い関わりを持っている。(後述)玉田県の歴史については档案局地方誌編纂室が1993年に
発行した「玉田県誌」に詳述されている。董主任は編纂員である。
また「無終子国」の都は天津市薊県にあったという。
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