無終子国の都(その2)

無終子国の都(その2)

  天津市薊県の中心部にある鍾鼓楼。朝には鍾で、夕には鼓で時を告げる。
  薊県の現在の人口は80万人。薊県人民政府はこの近くにあり、趙主任の部屋で明の
  時代(1500年代)に編纂された薊州志のコピーを拝見させて頂いた。ここにも玉田県の
  麻山の玉に関わる伝説が記載されている。ここでは伝説の主人公は「陽雍伯」と記載されている。
  また趙主任が編纂に携わった薊県志(1991年発行)には春秋中期にこの地が無終子国の都で
  あったことが記載されている。
  薊というのは元々はBC1100からBC222年まで栄えた「燕」国の都で現在の北京周辺で
  あったという。
  今回の旅で中国の玉田県の由来を確認し、無終子国の都も訪問できた。玉田県の王局長以下関係者、
  薊県の趙主任、ガイドの劉さんに心から感謝します。この後は北京編をご参照ください。
  在日本、再見!

  


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