テンプラのルーツ

テンプラのルーツ テンプラのルーツ


 左の写真はMUNDIALホテルの夕食。ここにテンプラのルーツを
見た。小アジのテンプラ、タラのネンプラ、野菜のテンプラ。
右の写真はタコの足のテンプラ。
日本のテンプラのルーツは諸説あるが、天正10年(1582年)
長崎からローマを目指した4人の天正少年使節とポルトガルでの
経験におけるテンプラのルーツが興味深い。
豊後の大名大友宗麟の名代として伊東マンショ以下の4人は
長崎から2年半かけてリスボンに上陸する。リスボンに1ヶ月
滞在しスペインに移動する際に、赤鯛、舌平目、鰈のエムパーダ
と魚の揚げ物を頂いたとの記録がある。エムパーダというのは
現在のサンドイッチといわれる。
これらが全て魚であること、また揚げ物であること、その理由が
「クアトロ・テンプラシ」であったため、使節団に提供されたと
記録されている由。「クアトロ・テンプラシ」とは何か。
Quatro Temporasは日本語に訳すと四旬節となり、カトリックに
ある習慣の一つで、年に4回肉食を禁じる日(水・金・土)が
割りあてられるという。ここから「テンプラ」という言葉が生ま
れたという。ポルトガルは海洋国家であり、日本と同様に魚が
豊富である。そのテンプラが現代でも上の写真に示すように食べ
られている。テンプラのルーツはポルトガルからきていた。


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