中国の「九州」

中国の「九州」


 この図は中国の「九州」です。(岡村秀典著 夏王朝 中国文明の
原像)中国最古の王朝「夏」の都は上の図の「冀州」(現在の河北省・
山西省・河南省)にあったといわれ、現在でも「二里頭遺跡」を
中心に発掘されています。
中国では「九」は「全て」を意味します。北京の故宮には長さ29mの
「九龍の壁」があり、その壁に中国皇帝のシンボルである龍が九つ
彫られています。中国皇帝の権力が全土に及ぶことを意味するものと
思われます。

国を統一した際に全国を「九州」に分けるということは朝鮮半島でも
行われています。684年朝鮮半島を統一した新羅の王「神文王」は
685年に全国を九つの州に分け統治しています。
中国の故事にちなんだものと思われます。

我が国においても「九州」は全国を意味するものとして用いられて
いました。続日本紀の聖武天皇3年の記事に「朕君臨九州」と
あります。
しかしながら現在では我が国では「九州」といえば「九州島」を意味
します。何故「九州島」が「九州」として残ったのかが問題で、歴史
研究家は古代倭国の時代に「九州島」を統一した「倭国王」が中国の
故事にちなんで「九州」制を導入したものと考えています。


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