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岩戸山古墳の東北の角にある「別区」と呼ばれる場所がある。 筑後国風土記にはこの別区は「衙頭」といい、「衙頭」とは「政所」 を意味するもので、裁判官を示す「解部」、猪を盗んだ「偸人」と 盗物「贓物」についての説明があり、裁判が行われていたことを 示している。 磐井はこの戦いで敗死するが、岩戸山古墳の右側には更にその後の 時代に造られた乗場古墳があり、この地域での権力が引き続き存在 していたことを示しています。 八女丘陵には全体で約300の古墳があるといわれています。 その中でも20−30の大型古墳があり、倭国王及び重臣の墓と 見られています。 隋に「日出る処の天子」の国書を送った「多利思北孤」の墓は この中にあるのでしょうか? |