田中久重
田中久重は明治6年(1873)75才の時に養子田中大吉
(二代久重)と上京し東京麻布大泉寺(港区)に工場を新設し、
電信機の開発・製造に着手します。明治8年(1875)
南金六町に移転し、田中工場は工部省指定工場となります。
左の写真はその時の場所の図で、現在の銀座八丁目になるそう
です。右の写真は現在の銀座八丁目で、田中工場は現在の番地
では銀座8−9−15になるそうです。
写真の右側の通りの真ん中付近になります。
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